ひょうきんな女性もいた。照れてしまって写真を撮らしてくれない人もいた。
顔中皺だらけのおばあちゃんは絵になるのだが、顔を隠してしまってなかなか撮らせてくれない。人を撮ることはなかなか難しい。
それでも、いい出会いがあり、ニッコリとカメラに向かって微笑んでくれると今までの苦労が報われたと感じる。
同仁の市場にて。まだ朝早く、日が低いので、きれいな斜光だった。新鮮な野菜があっておいしそうだった。
一人ぽつんと立っている女性にカメラを向けた。
合作にて。土塀の町を歩いていた。 子供と一緒にいたお母さん。カメラを向けると微笑んでくれた。もう一枚と再びカメラを構えると、家の中に隠れてしまった。
同仁の市場にて。断られるかなと思ってカメラを向けると、 可愛いポーズを取ってくれた。こんな人ばかりだと撮影も楽しいのに。
同仁にて青年僧の隣にいた女性。おそらくお母さんだろう。 寺の前の道に腰を掛けていた。束の間の親子の会話を楽しんでいた。
合作寺にて。寺の見学を終えて寺の外に出ると、 老婆が寺の周りをお経を唱えながら歩いていた。チベットの寺では何処にでもある風景。彼女は何かいいたげな表情をしている。
残念ながら言葉が分からないので、表情から読むしかない。 「私みたいなものを撮るんじゃないよ」
農作業をしていたところを撮らしてもらった。あたりは、麦の刈り入れ時で、庭に出て実の選別作業をしていた。麦わら帽子の良く似合う女性だった。
子供を背負うている女性。日差しが強くて顔が真っ黒だった。 自然の厳しさを物語っていた。背中にいる赤ちゃんもあと、30年もすれば真っ黒な顔になっていまうのだろうか。