この旅行を行く前には、タリバンがパキスタンのスワート渓谷で政府軍と戦っているとか、国内ではテロが頻発しているというニュースが日本には聞こえてきていた。そんなときに北部を17年振りに巡ってきた。ニュースの印象とは逆で、安全で快適な旅であった。もちろん危険な場所に行くわけではなかったので、発砲音が聞こえてくることもなく、人々は表向きは何も変わらない生活を送っていた。

上の写真は17年前にフンザのホーパル氷河の側にある丘で撮ったもの。皺も深く髭も白かったのでその当時もかなりの高齢化と思いもう鬼籍に入られているだろうと思っていた。現地に再び訪れ近くの売店の若い男にこの写真を見せた。しげしげと眺めた後、彼は「今から3年前に亡くなった」と答えた。ということはこれを撮った時から約15年間、この地で彼は暮らしていたということになる。この事実が心にのしかかってきた。彼は、自然は豊かだが、農作業をしながら、時には氷河を眺めながら単調な日々を送っていたのだろうと想像した。返事をくれた若者に「この写真を彼の家族に手渡して欲しい」と言ってこの地を離れた。この日は晴れ渡り、ウルタル峰の麓には麦畑が広がり、17年前とホーパル氷河の後退を除いて何も変わらないような気がした。今改めて思うと、彼のその後の15年を単調な生活だと思うのは、物質が豊かな社会に過ごしているものからの短絡的な見方で、白い山や緑の畑を見て家族と過ごせる静かな時間こそが本当の豊かさだとも思えてくる。

カテドラル(カラコルムハイウェイの中にある山)を背景にした男の子の写真がある。おそらくこの場所であろうと思う所は、家がなくなり畑が広がっていた。彼の知り合いに渡して欲しいと思っいたが、そこには誰もいなかった。一見変化がなさそうな風景でも少しずつ変わり、17年間という時間があまりにも遅すぎたことを痛感した。また、フンザの売店の人の写真も、その人は違う場所に行ってしまっていると言うことなので手渡して欲しいとお願いした。といことで17年前に写真を撮った人との再会は叶わなかった。

フンザは17年前とは随分変わった。以前は、フンザウォターといったワインを隠れて飲んだが、今は外国人であれば売店でビールを買うことが出来る。日本円で600円というこのあたりでは暴利と思うような値段は付いているが。ホテルで、お湯がなく氷河の溶けた灰色の水をふるえながら頭から被ったことを覚えている。今は、時間制ではあるが熱い湯も出、食堂のベランダからラカポシが借景として美しく絵のように見えている。ホテルのベランダでくつろいでいるとまるでバカンスに来ているような気分になってくる。携帯電話の普及も進み、携帯の電波を中継する大きな鉄塔が立っており、カラコルムハイウェイの道端には岩だらけの灰色の世界とは乖離した不釣り合いなピンクのペンキで携帯電話会社の広告が、あちらこちらの家の壁や岩に書かれていた。以前に比べると快適な旅が出来たがその分、フンザも都会に近くなったことの証左でもある。

世界には、彼らの文化を守りながら暮らしている人々がいる。カラーシャ族の人々のその内の一つ。カラーシャ族の女性は、独特の衣装を着て、その服のまま農作業もしている。特に印象に残っているのは、彼らの墓場。彼らの伝統として、棺桶を村の一角の墓地の地面にただ置くのを埋葬の形をしている。そのため、墓地には棺桶が無数に並んでおりあたりは独特の雰囲気を醸し出している。埋葬されたときの服や大腿骨や頭蓋骨までも野ざらしになっており簡単に見ることが出来る。現在は、副葬品の盗難が相次ぎ土葬になっている。落ち葉の上にあった頭蓋骨は、時間の経過が人間の体を有機物から無機物に変えていくことを教えてくれた。そして、人の感情が漂白され自然に帰っていく姿をまざまざと見せてくれた。緑に包まれた薄暗い墓場には、通り雨のあと雲間から弱い光が差し込んできた。

タリバンが生まれた所でもあるパキスタン。緑が多くて、人々は農業を中心に暮らしている。イスラムの世界の少数派が、今テロの実行している。大部分の人々には迷惑な話だろうが、彼らの考えに共感を持てる部分もある人もいるとは思う。最近のニュースで(2008.11)アメリカがタリバンの潜伏先にミサイルを撃ち込み庶民も巻き込まれたと報道された。これなどは、またテロの連鎖を生むだけの攻撃でしかない。このように拗れてしまうと泥仕合で際限がなく争い続く。熱くなっている両者の中で犠牲になっているのは、いつも普通の人々だ。チトラルでアフガン難民のナンを焼く男達に出会った。彼らは戦禍で国を追われても新しい環境で腐らず明るく生活していた。この姿に人間の本当の逞しさを見た。

イスラムの世界は、人間の欲望を抑え込んで生活することでなりなっている。それ故、厳しくもあり激しくもあるが、人々の生き様が宗教という背骨がしっかり彼らの中にあり、生き様が凛としているしている気がする。行くたびに何か新しい発見がある。言葉はインドと近いこともあり、彼らはインド映画が好きなようだ。パキスタンのバザールからはインドの混沌さは歩いても感じることは少ない。イスラム教とヒンドゥ教の違いが大きいのかもしれない。テロやタリバン等の日本人からすると眉をしかめるニュースばかりが聞こえてくるが、パキスタンは魅力的な国であることには間違いない。