北ベトナムを旅した。
凛とした貧しさの中で彼らは、ひっそりと暮らしていた。
中国との国境の近くの山深いやせた土地にしがみついて彼らは生きていた。だんだん交通の便が良くなり、収入がよい都会へと人々は流れていく。そんな風潮の中で、この土地では伝統の服を着て農作業をして暮らしている人々がいる。現金収入は一日働いて掘ったタケノコが100円と少なく、非常に慎ましい生活を送っている。

経済的には苦しい生活だけれども人々の表情は至って明るかった。村に入ると昼間から酒を飲んでいる人々を見掛けた。飲ませて貰うとかなりアルコール度数は高い酒だった。昼間から飲んで騒いでいることが彼らにとって唯一の息抜きなのかもしれない。それぞれの町に曜日によって市が立つ。そこを目指して人々は徒歩で何時間もかけて山道を歩く。市では、山の作物を売る人と山では手に入らないものを買う人が入り交じる。そこでは、まるで一週間に一度の祭りがあるような熱気を感じる。そして、人々は市で必要なものを籠に入れて、来た道を帰っていく。そして、次の市が来るまで山にへばりついた小さな畑を耕して生きていく。子供達は普段食べることのないお菓子や果物を口にし、男達はうまい酒を飲み、女達は色とりどりの日用品を選ぶ。市が終わってその場所に立つと、祭りの後のようにゴミが散乱して人気が無く閑散としたものだった。 この地域の市は、さしずめ日本の土日のショッピングモールと同じ役割をしてるのだろう。

彼らの生活を見ていると現代から100年ほどタイムスリップした感じがしてしまう。かつての日本も同じような生活をし、このような風景が見られたことだろう。中国製の深緑のゴムの運動靴をよく履いていた。彼らはよく歩くので、靴がすぐに破けてしまう。市場にはそれを修繕するミシン屋がたくさんいたことに驚いた。家の中に入れて貰うとほとんど家財道具がない。だだ広い土間があり、片隅の一角がカーテンで仕切られ、その中が寝室という感じのところが多かった。ほとんどが自給自足の生活をし,自然とともに共存していく。彼らは焼き畑農業をしており、たくさんの煙が山から上がっていた。これなどは現代社会から見ると環境破壊と言うことは簡単だが、これは現代人の高慢な浅慮ではないだろうか。

日本に繋がる風景。照葉樹林帯で景色は日本と繋がっている。この辺りの風景はいつか見たもの。サパの子供達はビー玉で遊んでいた。よく似た遊びを私もやったことがある。多くの母親が子供を負ぶっていた。日本では最近見なくなった。自分も働きながら子供をあやすためには子供を負うしかない。日本で見かけなくなったのは、仕事と育児が完全に分業されたことにも原因があるのだろう。背中で感じる親と子の絆と温もり。それを取り囲む深い緑。かつて日本にもあったもの。 あと10年もすればこの地も近代化の波の中で、文化は平準化されてしまうのだろうろうか。それが時代の流れなのかもしれないが彼らの生き様から学ぶべきことも多いような気がする。辺境の地を旅するといつもこんな思いを持つ。