イランを再び訪れた。
同じ場所に二度行く。前回は冬に今回は夏に、特に遺跡や建築物に関して見方が深まってくるようなような気がする。どこが撮りたいのかが、ある程度分かってくるので無駄がない。3年前、正確には2年8ヵ月前ということもあり、何人かの人に前に撮った写真を渡すことが出来た。特にヤズドの「沈黙の塔」を守っている老人にはいたく喜んで貰えた。写真は言葉は分からなくても、伝えるものを持っていることが実感できた。

ペルセポリス遺跡の保護はかなり進んでいた。以前は無かった石階段の上に木の階段が出来てダリウスT世やクセルクセスT世が歩いたであろう石を、直接は触れることが出来なくなってしまっていた。これからますます保存のために規制が厳しくなり、写真が撮りにくくなる。謁見の間にある大屋根も拡張の計画もあるらしい。

イスファハンのイマーム・モスクでは、モスクの中央部にある中庭に意味もなくテントが全面に張られていた。これは最近、モスク内に観光客が入るのを快く思っていない指導者が景観の価値を下げるために作られたそうだ。(このような本音は実際は出てきていない。正式なコメントは、祈りの時に少しでも人々が疲れないような配慮からとでも発表しているのだろうか)イランの政治の複雑さを垣間見られる事柄だった。

ヤズドの沈黙の塔を夕方訪れた。ホテルから徒歩で30分程度の道のり。現地の若者には「very far」と言われたが何とかたどり着き、2,3枚シャッターを押して薄暗くなった道をとぼとぼ帰っていると市内バスが停留場でもない所で止まり、ドライバーと客が乗れ乗れと手招きをするので疲れていたので乗せて貰うことにした。若い男の客の横に座り、お金はと聞くと自分のチケットを一枚手渡してくれて、ドライバーに渡せと手で示す。無事ターミナルに着いたとき、お金を出すと受け取ってくらない。250リアルのチケット、日本円で10円にも満たないものだが、彼の気持ちでホテルまでは、疲れれていたが足取りは軽かった。

タブリーズの町を早朝歩いた。朝が早すぎるのか人通りも少なく、町の所々の地面にパンが置いている。大きなパンを抱えて歩いている人を見かける。彼の来た方向に歩いていく。人々が列をなしてパンを買っている。30cmくらいの小判の形のパンが1000リアル(約10円)。店の風景を撮っていたら店の人からパンを1個頂いた。ホテルに持って帰って朝食にしたが、すべてを食べることは出来なかった。ホテルのパンよりも味もいいような気がした。

ガイドのDiba氏の言であるが「日本の花見とイランの行楽風景が同じ。」前回の時は冬に旅行をしたので行楽客は見られなかったが、 このようなことは感じなかったが、イラン人の行楽は家族で景色の良い所で食事をする様は、たしかに日本の花見風景のそのものだった。そこには日本と同じビニールシートが使われている。日本とイランの繋がる風景。そういえば、イランへの飛行機の中には、イラン人の夫と日本人の妻のカップルがたくさん見うけられた。統計的にはどうか不明であるが、文化や感性の近さを物語る補足にはなるのではないかと思う。

日本からのニュースから受けるイランの印象と実際の庶民の生活から受ける印象の違い。政治的には黒を白と言うときもあるかもしれないが、普通の人々は非常に親切で誠実に接してくれた気がする。水よりも原油の方が安い国であるが、ガソリンの使用量にも制限ができ、暮らし向きはだんだん苦しくなってきてる様だ。それでもしっかりと自分の文化を守りながら生きていた。法律をよく守っている女性は、スカーフから髪の毛が見えない。それに反して髪の毛が半分ぐらい見えている女性もかなりいた。写真をOKしてくれたのは後者の方が多かった気がする。国民がはもうスカーフは不要であるという思いが宗教指導者の方にも届けば、女性のスカーフも無くなる日が来るかもしれない。

二度目のイランでだいぶ馴染んできた気がする。なかなかいい国というのが素直な感想だ。日本には「二度あることは三度ある」という諺もあるので、またイランを訪れるかもしれないという予感はある。