ガンジス川は特別な響きがある。世界中には数多く大河があるが、これだけ人々の心の拠り所になっている川はほかにはない。人々が川の水を生活用水や工業用水や農業用水として利用するのはどこの川でも同じ。ガンジス川には川辺に立って人生を思ったり、先祖を偲んだり、神を感じるために人々が集う。こんな川は他にはない。ヒンドゥー教徒は、ガンジス川からの恵を心の糧にして生きている。今回の旅は、2500kmの長大な川ガンジスの源流域のもっとも神に近い地域にあるヒンドゥー教の聖地を巡ってきた。インド人のガンジス川に対する思いの一部が理解できればと思いながら。

ヤムノートリの印象
曇天の中ときおり小さな雨が降っていた。馬に乗って細い山道を辿りる。道が崩れている所を避けながら、高度を上げていく。馬の背にいることが疲れてきたとき、やっと湯煙が上がっているヤムノートリにたどり着いた。霧が立ち込めた山の頂上から滝が落ちてきてまるで桃源郷のような風景だったが、あたりにはお土産屋、コンクリート造りの宿があり、桃源郷のイメージを損なっていた。多湿でカメラとフィルムが湿ってしまい、レンズが曇ったりフィルムが密着したりして写真がダメになったものもあった。ヤムノートリの写真は少なくなってしまった。

ガンゴトリの印象
ガンゴトリは、ガンジス川の始まりである。実際は、このガンゴトリから18km上流のゴーモクが、本当のガンズシ川の最初の一滴が流れる所だが、大抵のインド人はガンゴトリをガンジスの出発点と考え人気のある聖地になっている。ここでは、ガンジスの川幅は25m位で水は滔々と流れていた。平原で見る様子とは全く違う生命力がみなぎっている姿だった。ガンゴトリに着いたのは、夕刻であまり人々がいなくて寒々とした。静かな雰囲気で、川の音だけが絶え間なく聞こえていた。足を浸けると氷河の雪解け水が冷たかった。ガンゴトリからの帰りは、道も暗く一歩間違うと命が危ないそんなドライブだった。デリーで読んだ新聞には、数日後この道で崖崩れがあり、数名が亡くなったと言う記事が載っていた。

ゲダルナートの印象
一番風景が素晴らしい。日本ではさほど有名ではないが、英語のガイドブックの表紙にもなっている。道は整備されているが、徒歩で往復2日掛かるのでなかなか訪れることができない。そのため俗化されることなく聖地の雰囲気を残している。経済的に豊かなジャイプールからの人々が多く巡礼に来ていた。夜のプジャーは、人々がリンガに花や穀物を捧げ牛の固めた油を擦りつけ、読経が響くなか黒光りしたリンガに額を付け神々に会っていた。高度3500mで夜は寒く、合羽まで着込んで眠った。

バドリナートの印象
バドリナートは、一番賑わっていた。ガイドブックには人気があるように書かれているが、交通の便がいいためではないだろうか。ヤムノートリやケダルナートは、車が入れる所から後は徒歩か馬で行くとうい不便な所。ガンゴトリは、崖崩れが多発する山道を長いドライブになる。
それに比べると快適や安全とは言わないが比較的楽に行けるのがバドリナートと言うことになる。5年振りのこの地であったが、寺院の色が変わっていたが雰囲気は何も変わってなかった。夕刻と朝に寺院を訪れたが、朝の方が活気があり人々が生き生きと活動していた。

デリーの印象
6年前に撮った写真を渡すために、久しぶりにオールドデリーに行ってきた。ジャマー・マスジト界隈に住んでいるのイスラムの白い髭の男や店屋の少年に会うためだ。肉屋が新しくできていたが、街の喧噪は変わらなく嬉しくなってきた。白い髭の老人は、もうなく亡くなっているのかと心配していたが、ご存命で彼自身に手渡すことができた。同じ道端で今も卵を売っていた。今は孫ができて小さな子供もその店に出て商売の手助けをしている。これがカースト制度かと思ったりもしている。

今回の旅で一番印象に残っている場面は、バリドナート寺院の老婆。(肖像U1/25の写真)朝早く起きて、寺院に向かう。霧が出て対岸から寺院を見ると霞んでよく見えない。川岸では祈りを捧げてるグループがいた。その横で老婆が、川に向かって懸命に祈りを捧げていた。この姿を見て、この川には神がいることを再確認した。また機会があればベンガル湾に注ぐガンジスの河口あたりの風景を見てみたい。